2025年、ピースモモは大切な仲間のミドリ、ミス、ミカ、トモコ、ミレ、ナツハを、日本と韓国をつなぎながら活動する「専門委員」という名でお迎えしました。これからThe Slashで毎月1回、専門委員の皆さんのエッセイをご紹介します。ぜひお読みください。
はじめまして。ピースモモの専門委員として日本から参加することになったミドリです。私とピースモモとの出会いは上述の「EDUTRIP」で韓国を訪問した際に、現地コーディネーターをお願いしていたミスのすすめで、ピースモモの事務所を訪問し、ミニワークショップを体験させてもらったことです。頭だけでなく、心と体も使いながら、構造的暴力や平和について、深く感じ考えることができるピースモモの平和教育に私は強く惹かれました。ちなみにその場には参加者としてミカ・トモチもいました。 世界的にそうだと思いますが、日本も今、排外主義が高まり、軍拡が進んでいます。そのことに強い危機感を感じています。マリア・モンテッソーリは、「戦争を回避するのは政治の仕事。 平和を築くのは、教育の仕事」だと言いました。どちらにもアプローチしているピースモモの活動に心から共感し、敬意を表します。そして、日本にも、ピースモモが培ってきたような新しいスタイルの平和教育が必要だと強く感じています。私たちの存在がその一助になれたらと、願っています。
ピースモモと出会って気づいたこと
ピースモモと出会って、積極的平和ということを考えるようになり、自分がやってきたことは、平和教育でもあると言えるのだなと最近は感じます。日本では「平和教育」というと、戦争や原爆、憲法について学ぶことを思い浮かべる人が少なくありません。もちろんそれらはとても大切です。しかし一方で、学校という日常そのものの中に存在する構造的な不均衡について考える機会は、決して多くありません。
「誰が参加できて、誰が参加できないのか。」
「誰の声が聴かれ、誰の声が聴かれていないのか。」
「今の『あたりまえ』は、誰にとってのあたりまえなのか。」
構造的暴力は、学校にも、地域にも、社会にも存在します。だからこそ、その構造を少しずつ変えていくことが、積極的平和を築くことなのだと思います。私自身、これまでは「学校を変えたい」という思いで活動してきました。しかし、ピースモモと出会ったことで、その営みは学校だけの話ではなく、「平和をつくる営み」にもつながっているのだと、改めて言葉にできるようになりました。
学校DE&Iと社会構造
私は、日本で学校におけるDE&Iの推進を仕事としています。最近キーワードにしているのは「ふつう」という言葉です。人それぞれ、その人なりの「ふつう」があります。民族やルーツに関すること、家庭環境や経済的な状況、SOGIに関すること、何が得意で何が苦手か、興味関心や、安心な環境や苦手な環境、どんな時にどんな感情になるかなどです。でも、社会にも学校にも、あらゆるコミュニティや組織にはその場の「ふつう」もあります。
例えば、日本の学校にはこんな「ふつう」があります。おそらく韓国でも似たようなところがあるかと思います。
・授業中は50分間静かに座っているのがふつう
・みんな同じペースで同じ内容を学ぶのがふつう
・日本語で読み書きができるのが当然
・制服を来て、校則に沿った身だしなみでいるべき
・着替えや宿泊行事の入浴は男女別で集団で行うもの
・毎日宿題が出て、家庭でそれをやってこられるのがふつう
自分の「ふつう」と、その場の「ふつう」が一致している人は、特に困らずにその場に適応でき、スムーズに参加することができて、「有利」になります。でも、自分の「ふつう」と、その場の「ふつう」が合わない人にとっては、適応しにくく困りやすく、参加しづらく「不利」になります。それは、その人(マイノリティ)にとっては、今の「ふつう」がバリア(障壁)になってしまうからです。

例えば、日本語を母語としない子どもは、授業内容だけでなく学校からのお便りも理解しにくいかもしれません。感覚過敏のある子どもは、蛍光灯の光やチャイムの音だけで疲弊してしまうかもしれません。トランスジェンダーやノンバイナリーの子どもは、更衣室や制服、修学旅行の入浴の時間を思うだけで学校へ行くことが苦痛になるかもしれません。経済的に苦しい家庭では、制服や教材費、修学旅行費の負担が子どもの心理的負担にもなります。多動性や衝動性が高い子どもは「やる気がない」「落ち着きがない」とネガティブな眼差しを向けられる中で自己肯定感を削られていくかもしれません。
これはその場の「ふつう」はマジョリティ中心・マジョリティ仕様につくられていくものだからです。制度や文化や慣習が、知らず知らずのうちに特定の人たちを排除してしまう。誰にも悪気がなくても、困難が生まれたり、排除が起きたりしていく。そして、その不均衡にマジョリティは気付きづらいために、その困難は本人の「努力不足」「わがまま」「適応力がない」という個人の問題へとすり替えられてしまうことが多いです。
だから私は、「困っている子を支援する」という発想だけでは足りないと思っています。必要なのは、その子が困る原因を作っている、今の「ふつう」(=やり方・状況・環境・ルール・前提など)を問い直すことです。これは障害者運動の中で生まれてきた「社会モデル」の考え方でもあります。
「学校のふつう」をアップデートする
私はよく、「学校のふつうをアップデートしましょう」と話しています。たとえば、授業中じっと静かにできず、つい喋ったり立ち歩いたりして先生に怒られてしまうAさんがいます。その子が困る・不適応になる原因になっている、今の環境側の「ふつう」=バリア(障壁)は何かをまず考えます。バリアを考えたら、次に「だとしたら、そのふつうをどう変更・調整できるか」を考えます。

当事者参加で「ふつう」を変える
もう一つ、私が大切にしていることがあります。それは、「本人の声を聴くこと」「当事者が参加すること」です。学校という場において、子どもはマイノリティです。数でいえば子どもの方が多いですが、その場の「ふつう」を決める権力を持っているのは圧倒的に大人です。なので、学校でいえば、「子ども参加」がとても大事ですし、特に子どもであり、尚且つマイノリティ性のある子(障害がある、脆弱な家庭環境にある、外国にルーツがあるなど)が安心して声を出せる環境をつくっていくことがとても重要です。
子どもが、マイノリティが、安心して声を出せる環境がなければ、本当の困りごとは決して見えてきませんし、構造的不均衡は是正できません。インクルーシブな環境をつくっていくことで安心を高めて、子どもたちが声を出しやすくなっていく。そうすると、大人は不可視化されていた「困りごと」や「不均衡」に気づくことができ、「ふつう」を問い直していくことができます。
インクルージョン(バリアの除去)の推進と民主主義の推進は両輪です。子どもが安心して意見を言えること。先生自身も安心して職場の課題を話せること。その声によって学校のルールや環境が少しずつ変わっていくこと。私は、この循環を日本の学校で広げていくことを自分のミッションとしています。
これから専門委員として、皆さんから平和教育についてたくさん学びながら、日本の学校DE&Iの実践も共有し、お互いに学び合える関係を築いていけたら、とても嬉しく思っています。

/武田緑 (Takeda Midori)
日本で学校における【DE&I(多様性・公正・包摂)】をテーマに、研修・講演・執筆、ワークショップやイベントの企画運営、学校現場や教職員への伴走サポート・コンサルティング、教育運動づくり等に取り組んでいる。また国内外の多様な教育を学ぶスタディツアー「EDUTRIP」の企画運営もおこなっている。フリーランスとしての活動のほか、学校DE&Iの実現のためには現場のエンパワメントが必要との思いから、全国の教職員らと共にNPO法人 School Voice Projectを立ち上げ、現在は理事兼事務局長として活動中。
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