2025年、ピースモモは大切な仲間のミドリ、ミス、ミカ、トモコ、ミレ、ナツハを、日本と韓国をつなぎながら活動する「専門委員」という名でお迎えしました。これからThe Slashで毎月1回、専門委員の皆さんのエッセイをご紹介します。ぜひお読みください。
「日本と韓国をつないで活動するピースモモの専門委員」。こう聞いても、ピンとこないかもしれない。この人たちはどんな活動をしていて、どんなふうにピースモモと関わるようになったのか。ここでは自分の体験を皮切りに、ピースモモと日本の活動家たちとの出会いについて話そうと思う。
『平和教育というものはどこにでもつながるということに気づけた。平和を学ぶのではなく、より良く生きるための哲学を学ぶこと。共感力をつけること。自分を大切にすること。自分と違う他者を受け入れ、受け入れてもらって、社会の中に存在するということ』
2014年11月末のある日、こんな言葉を日記に書いていた。私が韓国で「活動」するようになった出発点を振り返るために日記をめくっていて目に留まったページ。初めて参加したピースモモの講座「MOMO平和大学」を修了した日に書いた感想だ。
当時、私は韓国で何をすればいいのか、どこに向かっていけばいいのか、毎日さまよっていた。ソウル暮らしをはじめた初年度、ある先生の勧めで小さな非営利団体の事務局長を務めることになったが、事務局長といっても人員は私ひとり。韓国社会のことをほとんど知らない私が、ちゃんとした引き継ぎもないまま事業をつくっていかねばならなかった。仕事を任せた先生は、私が日本の市民団体で活動してきた経験に期待していたであろうが、ここではまったく役に立たなかった。その頃は、自分は何もできない人間なんだなあ、とすっかり気後れしていた。
韓国に来る前は、日本の平和団体「ピースボート」で12年間働いていた。ピースボートは船に乗って世界を巡りながら、紛争や戦争、環境、グローバル化と格差など、さまざまな問題に向き合い、人々と交流しながら平和について学んでいく国際交流団体だ。年齢もバックグラウンドも異なる数百人の参加者とともに3か月間旅をしながら、本では学べないことを知り、まさに地球をキャンパスに数多くの経験を積んだ。ただし、そのときは「経験こそが力」な面があり、肌で感じて体感した平和についての学びを、きちんと体系的に蓄積して可視化する取り組みが足りなかった。
ピースボートを退職して韓国に渡り、2014年に出会ったピースモモの平和教育プログラムは、私がそれまで漠然と抱いていた平和についての考えや感覚、感情をクリアにする言葉を与えてくれた。そこからより深い学びへの扉が開かれるようだった。だからこそ、私が経験したハッと目が開くような「あ、そうか!」という学びを、日本のかつての仲間たちとも分かち合いたいと思った。
ひとり事務局長としての任務を終え、次の活動について考えていた頃、ミドリ(武田緑さん)から連絡があった。ミドリは日本で教育に関するさまざまな学び合いの場をつくる非営利社団法人を率いる若い活動家だった。ミドリいわく、世界各地の教育現場を訪ねるスタディーツアー「EDUTRIP」を運営しているのだが、今度韓国でツアーをしたいので、そのコーディネートをミスが担当してくれないか、ということだった。私にとっては願ったりかなったりの機会だった。
韓国のオルタナティブスクールへの訪問、大学生との交流など、スケジュールを組みながら、私はぜひともピースモモを紹介したいと伝えた。ただ、教育現場訪問プログラムで「平和教育団体」を訪ねるという提案は、やや趣旨を掴みかねるようだった。というのも、日本で一般的に「平和教育」というと、過去の戦争への反省や武力戦争放棄を謳った憲法9条、広島・長崎の原爆被害から学ぶことなど、固定化されたテーマに捉われがちな面があるからだ。
しかし、私の期待どおり日本の参加者たちはピースモモの平和教育プログラムに大きく心を動かされ、すっかり引き込まれていた。「平和ではない状態」は戦争という物理的な大きい暴力だけではなく、自分の身の回り、学校や教室、職場、家庭、そして社会や文化のさまざまなところに潜んでいるということ。だからこそ、平和を築いていく考えや行動は自分の手の届くところから実践できるということ。これらを座学の言葉からではなく身をもって学ぶことができた、と口を揃えた。こうしたハッとさせられる気づき、まさに「目から鱗が落ちる」学びのおかげで、その日は落ちまくった鱗で床がいっぱいになっていたことだろう。
ミドリと企画運営した韓国スタディーツアーは、その後7年にかけて4回行われた。毎回新しい参加者を迎え、訪問先も少しずつ変えたが、ピースモモへの訪問は欠かさず組み入れた。スタディーツアーの参加者の中には、ミカとトモコがいた。ピースモモに強く惹かれたミカは、大学卒業後、クラウドファンディングで資金を貯めて韓国に渡り、ピースモモで初のインターンになった。そのミカのクラウドファンディングを陰で支えたトモコは、ピースモモが発信する情報を自分のSNSアカウントでその都度シェアしていた。
こうしてつながったミドリとミカ、そして私は、日本でピースモモのワークショップを実施することを計画するようになった。2024年、ミドリとミカはファシリテーターのアヨンとデフンを正式に招いて、東京で初めて1泊2日のワークショップを企画した。名前も知らない韓国からの平和教育ワークショップに、はたして参加者が集まるんだろうか……という心配をよそに、30人を軽く超える人々が日本各地から集まり、韓国語と英語で行われたワークショップに参加した。これをきっかけに、翌年には再び東京で、さらに大阪と名古屋では自主的に結成された運営チームがピースモモを招待し、充実したワークショップが行われた。
こうして、とんとん拍子に実現していったピースモモの日本での活動を嬉しく思いながらも、私たちはこれを一度きりのイベントで終わらせたくはなかった。ミドリとミカに加え、スタディーツアーとワークショップに参加したミレ、平和教育をテーマに修士論文を書いたナツハ、そしてトモコ。この6人のメンバーで、ピース・ペダゴジーを日本で実践していく方法について考えていくことにした。それぞれ住んでいる地域がばらばらなので、オンラインで1年半にわたって話し合いを続けた。
単に日本でピースモモのワークショップを立ち上げよう、という話にとどまる集まりではなかった。ますます露骨になっていく日本社会・政治の外国人に対する排外主義、軍事主義へと傾いていく風潮、保守化する教育現場など、日々の暮らしの中でそれぞれが抱えている平和問題の悩みについて、安心して打ち明け、意見を交わすことのできる安全な場でもあった。

準備を重ね、満を持して今年6月に大阪で、そして8月にソウルで、ついに6人のメンバーがじかに会うワークショップが実現した。それぞれのバックグラウンドや平和の種となった経験を話し合ったり、ピース・ペダゴジーを改めて振り返ったり、平和教育のファシリテーターになるためのプロセスを実践したり。私たちの間に流れる歓迎・歓待・尊重のあたたかさを存分に味わいながら、同時に、知れば知るほど向き合わなければならない暴力や非平和の問題の高い壁も感じながら、大切な時間を過ごした。
こうして「専門委員」という名の6人が、日本(または日本語)をベースに平和教育の活動へと踏み出した。それぞれがこれまで積み重ねてきた経験を土台に、うまく名付けられずにいた違和感、おかしいと思うことを、平和の言葉で表現していき、より多くの人たちとともに広げていきたい。どこかでまかれた種が私たちの中で芽吹いたように、平和の種が六つの風に乗って、はるか遠くへと広がっていくことを願いながら。

/チョウミス
東京生まれ・育ちで、現在は京畿道安山市在住の在韓在日コリアン。韓国と日本、南と北の境界にいる人として、平和教育、ディアスポラ・コリアンなどの問題に関心を持って活動している。
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